天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原城攻防戦のおり、現在の小田原市の郊外にあった超光寺というお寺が焼け落ちました。
それから時代は経過しその後田畑の開発が行われた際に、小田原城攻防戦の犠牲者と思われる人骨や五輪の供養塔が多数この周辺で発見され、元治元年(1864)に超光寺碑が建立されました。
このたびこの地に眠る人々を供養するために、聲聞山三昧院超光寺の山号と院号から名前をとり聲聞会三昧文庫としてこの寺を再興いたしました。
この地に眠る人々のように存在の忘却は死後の宿命です。聲聞会の目的は、忘れられたこの地に眠る人々の供養を第一義とし、人の死後も忘れられないように存在の証明を遺す挑戦を、宗教とは異なった形式で行うことにあります。

